その日のこと

これからしばらくだけど、地震のことを書こうと思うんです。

まだ記憶が鮮明なうちに、ここで記録しておこうと思いましてね。東北では、まだまだ大変だけど、ここは落ち着きを取り戻しつつあります。

特に、面白おかしくするつもりもありません。ただ、今まで起きたことを淡々と書こうと思いましてね。。。

 

その日が来る少し前、実は義父が危篤になった。

病院から呼び出しが来て、カミさんと二人で医師の説明を聞いた。「もって一週間です」と聞かされて、正直、これは大変なことになったな、、、、

そう思った矢先の出来事だった。

その日、ボクは確定申告の会場にいた。いつになく、申告に来た人が少なく、会場内はガラガラという日だった。

当然と言えば、当然だけど、その時は突然やってくる。

最初に思ったのは、出口を開けなきゃ、だった。

揺れる中、非常口のドアを開けに向かった。今から考えると、天井からの落下物にぶつかって死んでたかもしれない。思えば無茶だった。事実、後で気づいたが、天井排気口のダクト(50センチ四方はあったように思う)や、壁材が落ちて床に転がっていた^^;

でも、その時は、まだあまり申告に考えてなかった。

まだ昼間で明るかったせいもあるし、幸いに火事が起こったりとか、建物が倒れたりとかしていなかったからかもしれない。

確定申告は中止となり、事務所に戻る。役所は、いたるものが散乱し、天井裏を通る配水管が損傷したようで、雨漏りのように水が落ちてきていた。もちろん、電気は止まってる。廊下をはさんで向かい側では、窓ガラスが割れていた。

とりあえず、散乱したものを片付け、支持を待つ。

この時は、家のことが気になっていた。義母とカミさんは、危篤になった義父につきっきりで病院にいたため。家には、子どもたちと、偶然来ていた、お袋。それから義祖母しかいなかったのだ。

当然、子どもたちの事が気になる。

通じないと分かっていながら、何度となく自宅のナンバーをコールした。この時は、そのうち電池がなくなるから、節約しなきゃなんて事は、考えもしなかったのだ。

連絡がつかないまま、17時を過ぎた。まわりはうっすらと暗くなってくる。

ここで直接、災害と関係のない課の職員は、自宅待機という指示がでる。ボクは帰らなかった。

その時、まだ見回りに出てる部下が戻っていなかったのだ。彼らが帰ってくるまで待たなきゃ・・・

18時を過ぎて、彼らが帰ってくる。ひと通りの報告を受ける。課長の指示でその場に残ってた全員が解散した。

それからは、まっしぐらに家に車を走らせた。車窓から夕焼けが見えた。何だか、とてもキレイだった。天変地異が起こったときの空は、異様に美しいという話を聞いたが、まさにそんな美しさに見えたのだ、その時は。

そして、帰りの道中、あちらこちらで、ブロック塀や石垣が崩れてたり、道路が陥没してたりするのを見た。実際に、大変な事が起きたと実感したのは、この時だったかもしれない。

家につくと、みんな無事だった。

お袋と子どもたちは、厚着して家の外にいた。車を止めると、真ん中の娘がかけよってくる。ものすごくホッとした。。。

“怖いから家の中にいたくない”

というお袋をなだめ、全員、家の中に入れる。そして薪ストーブに火をつけた。こんな時、頑丈で重くて、ちょっとやそっとの地震ではびくともしない薪ストーブは便利だ。

仏壇から。ありったけのローソク(何故かラベンダーの香り^^)をもってきて、灯りをともす。お袋が、ありあわせのもので、夕食をつくる。電気はないけど、ガスはつく。蛇口をひねったら水がでた。

よかった、水が出る。

この時は、そんな風に思ったが、それは、ただ単に水道管に残ってた水が出ただけだったことを、翌朝、知ることになる。

何度も余震がきた。

そのたび怖がるチビたち(&お袋と義祖母)に、”大丈夫だよ”と言った。この日、この言葉を何度言ったか分からない。

ありあわせの夕食をすませると、暗いせいか、チビたちは7時くらいに眠くなったようだった。布団に連れて行く。寝室に、でかい皿を用意してロウソクをたてた。電気がつかないとは言え、せめて子どもたちが寝付くまでは、部屋に灯りが必要だと思ったのだ。

ロウソク1本しかなくて、とても脆弱な光の中、チビたちを寝かせた。ついでにお袋にも一緒に寝てもらった。

ボクは、、、

義母とカミさんがいる病院に向かった。

その日の夜の道は、とても異様だった。

電気が通じてないから、何もかもが真っ暗。当然だけど信号すらついてない。ホントに真っ暗の中、数台の車が行き来してる。田舎なので渋滞などは起こらない(笑)

車を走り出してから、シートベルトをしめようとしてる自分がいた。ちょっと苦笑した。こんな事態だ、どこにも警察なんかはってないのに。いやいや、これは自分の安全のため。こんな時こそ、気をひきしめて安全運転しなきゃ。。。

途中、セブンイレブンが営業してた。

さすが、業界最大手コンビニだ。こんな時、非常用のバッテリーがあるんだろう。それにレジと投光機をつなげ営業してた。

お弁当、オニギリ、パンの類はない。ちなみに、乾電池と、乾電池式の携帯充電器も、売り切れていた。

ここで、義母とカミさん用に、お菓子類(ポテトチップスとか、食べ物はこんなものしかなかった)と、ペットボトルのお茶を買う。

ふと目をやると、ビールもあった。これも、ついでに買う。たぶん今夜は、飲まないと寝れないと思ったからだ。タバコもあったので1つ買った。

病院は、自家発電されてるようで、電気がついてる。ロビーでテレビがついてて、ニュースステーションが放映されてた。

この時、”なるほど災害が起きたばかりの報道というのは、被災地以外の人しか見れないんだな”という事に気づく。

一番、情報を欲しているはずの被災地では、見れない番組を、テレビは流している。これを見ている人の大多数は、地震被害とは直接関係のない人たちなのだと思ったら、とても皮肉に感じた。

病室に入ると、義父は寝ていた。2日前からモルヒネ投与が始まってる。もうほとんど意識はないだろう。

買ってきたお茶と、お菓子をすすめたが、義母は、”何も食べたくない”と言って口をつけなかった。

カミさんは、、、、

真っ先に、ポテトチップス(のり塩味)の袋をあけた。

家に、帰ったのは21時近く。

みんな寝てた。買ってきたビールを開ける。一口飲んだ後、タバコに火をつける。

しばらくして、携帯を開いてみたら、圏外になっていた。

(それから、しばらく携帯は、不通のままとなる)

当然ですが、この写真は、地震とは無関係です。結婚式に呼ばれたときのキャンドルサービスのキャンドルの写真(笑)

まぁ、ローソクつながりと言うことで・・・(大笑)

続きます^^

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その日のこと への4件のフィードバック

  1. abend より:

    こんばんは。
    私が地震のニュースを知ったのは仕事帰りでした。
    まさかこんなことになってるなんて思いもしなかったけど
    東北ばかりが放送されていて そちらがそんな大変なことになってる
    のを知ったのは帰宅してからでした。
    かなり大変な日でしたね。無事でよかったです。

  2. タマ。 より:

    abendさん、こんばんは。
    何年か前の、あの震災の時も、abendさんは、こんな感じだったのですかね?
    東北の被害が大きすぎて、確かに茨城や千葉の方は、あまりクローズアップされてないですね。
    でも、それは、これぐらいの被害で済んだからなのだから、ありがたい事です。

    ホントに大変だったのは、この後でしたね。
    この日は何かね、まだ、リアルに震災の影響は受けてなかったんです(笑)

  3. ニコラス より:

    大変な様子でしたね~~ 
    自分が事の重大さを知ったのは23時位だったでしょうか。地震直後に停電となって、息子の学校へ歩いて様子を見に行きました。学校は耐震補強工事が終ったばかりですから心配は無かったです。いつもの避難訓練どうりの行動をとりました。その後職場へ行きましたが停電の情報が全くわからず自宅待機になりました。職場も昨年耐震補強工事を終えたばかりでした。真っ暗でやる事もなく23時頃ナビでTVをみて事の重大さを知る事となりました。キャンプ道具を引っ張りだしたのはその後の事でした。

    • タマ。 より:

      ニコラスさん、こんばんは。
      ニコラスさんも大変でしたね、それは。
      妙なもんで、地震が起きた直後とか、その日って、割と事の重大さに気づかないんですよね^^

      キャンプ道具ですかぁ。
      ウチには、そういうものがなくって、、、今にして思えば、そういうの買っておいた方がよかったかもと思いますよ。

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